青森~青森空港に鉄道を建設。途中・南青森(←吹池)、荒川工業団地(内陸のコンクリート地帯)に駅を設ける。
荒川工業団地に工場を誘致。南青森に車両基地を設置。
銀行から借金をし、荒川工業団地の工場をもう1軒増やす。
青森~南青森間に浦町駅(2面4線)を設置。
途中、一度ストライキが起きギリギリとなるも、なんとか直近では黒字近くまで来た。
同年3月に黒字転換。借金をし、特急を導入。
銀行にお金を借り、青森~荒川工業団地を複線化。
新たに大野駅を開業させ、同駅に社宅を2軒設置。
社宅は成長とともに郊外に移転させ、跡地にマンション等を建設する予定。
荒川工業団地~青森空港も複線化。間に高田駅(←稲堀)を開業。
社宅2軒も建設。
4年間の充電の末、ついに青森空港から先へ延伸。
浪岡を目指すも、お金が足りず断念し平野近くに五本松駅を設ける。
2年ほどの充電の末、ようやく浪岡まで開通。
その後、人口が増えたので普通列車も運行を開始した。
ようやく黒石まで開通。黒石~青森空港に特急を新設。
ここで輸送人キロは187000人。
大野~南青森~浦町を高規格化。
同年6月、通常勝利の30万人/kmを達成。
また、ホテルを青森に建設。
分散のため、青森駅の東に新青森線を開通させ、新浦町・新青森の駅を設置。
そして同年6月…
浪岡延伸までが苦戦したイメージ。
輸送人員が目標だから、早めに浪岡・黒石まで延伸していれば、黒石温泉・弘前へ路線を伸ばし、早く進められたかもしれない。
あとは新青森線の失敗原因として、青森駅と新青森駅の接続を忘れたのも主因かと思われる。改善点はいくらでもあるので、次の挑戦では更なる進化を遂げたい。
では。